山田かまちの本当の死因や名言について!高校中学や父母の家族情報も!

群馬には、若くしてこの世を去った
天才がいた。

彼の名前は山田かまち。

その生涯はたった17年という短いものだったが、
彼の残したその多くの水彩画などの作品や
名言の数々は、今もなお多くの人々の
心に深く刻まれている。

今回は山田かまちの本当の死因や
彼が残した名言。これを間近で見続けた
ご両親のことや、中学高校時代のことに
迫ってみた。

それではいってみようか。

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山田かまちはどんな人物なのか?中学高校や父母の家族情報から紐解く。

 

山田かまちの生まれは、

群馬県の群馬県高崎市赤坂町。

 

父、山田秀一、母、千鶴子の間に、

1960年7月21日に生まれる。

引用元:http://www.tokachi.co.jp/kachi/art/y.kamachi/3_2.htm

父は高校教師をされていたと言う。

 

1歳半の頃から絵を書き始めた

山田かまち。

 

その絵はその頃によくある、

ただぐるぐるっとしたどけのものではなく、

なんと、「スバル360」や「小鳥」など、

「はっきりしたもの」を書いていたと言う。

 

小学校は倉賀野小学校にかよう。

突出した個性を持ちながらも、

それを表に出すことなく、幼少期を過ごすが、

小学3年のときに書いた、水牛の絵を見て

担任、東京芸大卒の竹内俊雄さんは、衝撃を受ける。

 

「この子は将来、尾形光琳や

俵屋宗達に匹敵する画家になる」と

県内の美術評論家・井上房一郎氏に言わしめた。

 

よく行われた子供写生大会などでは、

入賞、入選を繰り返したそうだ。

 

中学は、倉賀野中学校に通う。

その頃からビートルズなどロックに目覚める。

 

同級生に、氷室京介、布袋寅泰、 松井恒松、

岡田有紀子。

そうそうたるメンバーだ。

 

特にヒムロックとは小さい頃からの友達で、

バンドをしていたという話もある。

 

特に好きなバンドは、

レッドツェッペリン、エアロスミス、クィーン。

 

 

ちなみに中学受験に失敗し、評価を点数で

決めることを、馬鹿らしく感じることも。

 

ためらうこと?
ない。
おびえること?
ない。
ただ、書けばいい。

 

上の言葉は、その頃にノートに記された名言。

 

「僕には24時間では足りないよ」

これが彼の口癖だった。

 

1年の浪人を経て、地元で一番の高崎高校に入学。

 

17歳の誕生日に父からエレキギター買ってもらい

ますますロックにのめり込む。

 

そのエレキギターが原因で悲劇は起こるのだが、

それには諸説合って・・・

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本当のところ死因はなんだったのか?

 

一般的には、かまちが上半身裸で

エレキギターを弾いている最中に

感電死したとされている。

 

1977年8月10日水曜日午後のこと。

近くには脱ぎ捨てた、

汗びっしょりのシャツが脱ぎ捨ててあった。

 

このことは、没後に母親が出版した本に

「改造したエレキギターの電源コードが原因の感電死」

と記されていた事によるが、

この本自体が、ノンフィクションとして

書かれたものでないという点からも、

疑問が残っている。

 

しかも、たとえ改造した

エレキギターであったとしても、

感電死することはないと言う。

 

上半身汗だくで、

雨の中Liveをやってる人は

山ほどいるが、感電死した人を

見たことも聞いたこともない。

 

だったら何か?

 

諸説あるがその一つが、

ギターアンプによるもの。

 

当時は外国製のギターアンプは

とても高価だったことも有り、

粗悪な国内品や、自作のギターアンプを

使っていたと考えられる。
(中古のラジカセを改造したものとか)

 

それが、アンプ内の絶縁不良により、

シールドを介してギターに膨大な電流が

流れ出して感電・・・

 

本当のところはどうだったのか。

本人がいなくなった今、その真実を

しるものはいない・・・

 

かまちは高校入学時に、

父の秀一さんにこう話したと言う。

 

「みんなカラスみたいな黒い制服を着てね、

ボーっとした幽霊みたいのが

窓から顔を出してる。

チャイムの代わりに応援歌が流れるんだけど、

そのテンポがね、葬送曲みたいだ」

 

早熟過ぎたんだと思う。

彼の成長のスピードは、一般的な

凡人のそれとはかけ離れていたんだろう。

 

名言やかまちの作品集。

 

早すぎる17年という月日を、

全速力で駆け抜けた、山田かまち。

 

その数々の名言は、コチラからご確認を。

17歳のポケット/山田かまち【1000円以上送料無料】

引用元:imgrum

「1日24時間じゃ足りないよ」

「生きることを生きろ」

「激しく生きろ・・・・」

彼が亡くなった後、幼児期から描いた

膨大な絵や詩、日記・ノートが

ベッドの下から見つかります。

引用元:http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/050806/

その作品たちの多くが、

92年、高崎市内に開設された

「山田かまち水彩デッサン美術館」に

展示されています。

 

そこには、水彩画、パステル、デッサンなど

約1,000点の作品の一部が展示されている。

作品16歳 ナイフを持つ自画像
作品9歳 水牛
作品15歳 プリーズ・ミスター
ポストマン
作品13・14歳 海辺のライオン
作品小学3年 ゾウ
告白

彼の死を受けて、小学生の時からの親友の

ヒムロックは彼へこんな手紙を残している。

天才の命は短い・・・

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